学際っていう場合、多くの場合、例えば技術系の人がアート系の人と協力し合って、コラボレートすることだと思っている方がいます。
それはどういう仮定を含んでいるかというと、アーティストは、ハンダ付けしない、電気工学わからなくていい、C++のLanguageが書けなくていい。一方、技術者は、アートの本質的なConceptとかTheoryに貢献することを期待されていない。 これはわれわれにとって本当のコラボレーションだと思っていません。
すなわち各人が、各研究者も教授も、アーティストでありデザイナーでありサイエンティストでありエンジニアであり、なおかつ教授の場合ビジネスマンでもなきゃいけない。
一人の人間がすべてでなきゃいけない。 すなわち、ひとつのラベルを貼って、レッテルを貼って、あなたは技術者、あなたはCognitive Science(認知科学)、あなたはSociology、といった時代ではもうなくなっている。 逆に解かなきゃいけない問題がこれだけ複雑になって、人間、その信義、そのsociety、commitと、これだけ複雑に絡んでいるときに、それをデザインするときに、ひとつの学問だけでやっていく時代はもう終わっている。 もちろんすべての学問でNo.1にはなれませんけども、それぞれの言語をfluentに話し、深く尊敬し、そういうチームをまとめられるリーダーでないと、これからやっていけない、というふうに思います。
それがわれわれの学際の違いです。
それはどういう仮定を含んでいるかというと、アーティストは、ハンダ付けしない、電気工学わからなくていい、C++のLanguageが書けなくていい。一方、技術者は、アートの本質的なConceptとかTheoryに貢献することを期待されていない。 これはわれわれにとって本当のコラボレーションだと思っていません。
すなわち各人が、各研究者も教授も、アーティストでありデザイナーでありサイエンティストでありエンジニアであり、なおかつ教授の場合ビジネスマンでもなきゃいけない。
一人の人間がすべてでなきゃいけない。 すなわち、ひとつのラベルを貼って、レッテルを貼って、あなたは技術者、あなたはCognitive Science(認知科学)、あなたはSociology、といった時代ではもうなくなっている。 逆に解かなきゃいけない問題がこれだけ複雑になって、人間、その信義、そのsociety、commitと、これだけ複雑に絡んでいるときに、それをデザインするときに、ひとつの学問だけでやっていく時代はもう終わっている。 もちろんすべての学問でNo.1にはなれませんけども、それぞれの言語をfluentに話し、深く尊敬し、そういうチームをまとめられるリーダーでないと、これからやっていけない、というふうに思います。
それがわれわれの学際の違いです。